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岩手県 平泉町
日本遺産・世界遺産でもある岩手県・平泉町の中尊寺本堂を舞台に、“源義経”をテーマにしたクロストークを配信します。
義経が平泉で辿った数奇な運命は、例年現地でゴールデンウィークに開催される「春の藤原まつり」*の「東下り行列」として残されるばかりか、
能や歌舞伎・日本舞踊などの演目となって、今なお数多く上演されています。
平泉周辺の地域一帯に伝わる南部神楽においても、義経は欠かすことができない主題です。
今回のクロストークでは、南部神楽、能楽、日本舞踊それぞれの演目に登場する“源義経”について、実演を交えながら語り合います。
芸能を通じてその足跡と、義経像の表現の豊かさを紐解いていきます。
*2020・2021年の「春の藤原まつり」は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止。
平泉は、黄金で繁栄を極め、「みちのくGOLD浪漫」として日本遺産に認定されている地の一つです。
平泉では、東北地方で続いていた戦乱の犠牲者達が、敵味方なく浄土に行くことで平和で平等な社会になるという「浄土思想」のもと、
中尊寺が建立(こんりゅう)されました。この周辺では砂金がたくさんとれたため、
中尊寺の金色堂に代表されるような豪華けんらんな平泉文化が生まれます。
金をして、都をもしのぐ力を持った奥州みちのく平泉では、当時国内外との物的・人的交流が盛んに行われました。
平安時代には、源氏の御曹司であった“源義経”も、平泉を二度訪れています。
都から東=東北を訪れた義経のこの旅は「東下り(あずまくだり)」と呼ばれ、
その旅の物語は、能や歌舞伎といった伝統芸能など様々なかたちで現在に伝えられています。
義経最期の地である平泉でも、毎年行われている「春の藤原まつり」や「源義経公東下り行列」、
そして平泉周辺に伝わる「南部神楽」のなかにその物語を見つけることができます。
日本の歴史のなかで今なお高い人気を集める“源義経”。なぜ義経はそれほどまでに愛されてきたのでしょうか?
岩手県・平泉では、当地を栄華に導いた奥州藤原氏をたたえる「藤原まつり」が、 世界遺産の中尊寺や毛越寺(もうつうじ)で毎年春と秋に開催されます。 ゴールデンウィークの5月3日には「源義経公 東下り行列」が行われ、義経はじめ当時の装束に身を包んだ100名以上の行列が登場します。 義経役はその時々の人気俳優やタレントがつとめ、白馬に乗ったその姿を一目見ようと毎年多くの人が集まります。
源義経は、京の都から東北への「東下り」として二度、平泉を訪れています。
一度目は16歳の頃、藤原秀衡(ひでひら)と会うために、金売り吉次を伴い、京都鞍馬から伊豆や関東を通って栗原寺(りつげんじ・宮城県栗原市)へ。
栗原寺には、平泉から200名もの僧兵が出迎えたといいます。二度目はその6年後、兄頼朝の追討から逃れ、秀衡を頼って下向しています。
当時の義経は山伏姿に変装し、北陸ルートからやってきています。
こうした「東下り」の故事にならった行列の再現が「源義経公 東下り行列」。秀衡公の出迎えが中尊寺坂下から出発し、毛越寺に到着後、
大泉が池で「義経公ねぎらいの場」が平安絵巻さながらに再現されます。その後、行列は毛越寺から中尊寺金色堂へ向かい、参拝がなされます。
平泉を含む岩手県南から宮城県北一帯に伝わる「南部神楽」は、現在も120超の団体が活動を続けている地域芸能です。
豊作や除災を願うのはもちろん、ご当地の伝説や物語を演劇化するエンターテインメント性の高さも特徴です。
農閑期になれば、あちこちで神楽大会が開かれ、舞手自らが歌うように語るセリフや、アクロバティックな太鼓の技術、
芸術性の高い衣装やお面などによって、今なお人々から広く愛される芸能として継承されています。
特に人気が高いのは、平泉に二度も「東下り(あずまくだり)」し、この地で最期を遂げた源義経や弁慶をテーマとした「判官(ほうがん)物」とよばれる演目の数々。
五條ノ橋や東下り、藤原秀衡(ひでひら)との対面、屋島合戦、安宅関など、全国各地で繰り広げられる、出会い、苦難、放浪、栄光、転落、
友情やロマンス…義経による平泉までの足跡を辿るエピソードの数々が神楽で演じられます。
今回のトーク内で、南部神楽を伝える団体の一つ「牧澤(まぎさわ)神楽」(岩手県一関市)が演じるのは、『五條ノ橋千人切り』と『東下り』。
『五條ノ橋千人切り』はご存知、軽快な義経と剛強な弁慶の大立ち回り。弁慶が振り下ろす長刀を義経がひらりとかわす演技に息をのみます。
『東下り』では、義経が「牛若」と名乗っていた頃、初めて平泉へ東下りして藤原秀衡と対面する場面が演じられます。牛若とは何者か、自らの半生を秀衡に語ります。
南部神楽における義経は、白い「ザイ(髪の毛)」に「若人(わかど)」の面で舞う神楽組の花形であり定番。
舞振りや衣装、発声などにも独特の表現があり、神楽団体それぞれに追い求める義経像があるといいます。
平泉で生涯を閉じたとされる“源義経”。わずか31年のドラマチックな一生は、
能楽や歌舞伎、浄瑠璃、錦絵の格好の題材となり、南部神楽でも多くの演目が伝わっています。
本トークでは、義経が全国各地で残した足跡と伝説を、登壇者がそれぞれの芸能に寄せて紹介します。
日本舞踊の花柳源九郎さんは、長唄『五条橋』(写真左)をはじめとした様々な芸能の演目の紹介を通して、
全国にわたる足取りや日本人の義経像に迫っていきます。
能楽の中の義経を紹介するのは、平泉に大変ゆかりが深い喜多流能楽師の佐々木多門さん。
能楽でも義経は憧れの存在といいます。特に人気の曲だという『船弁慶』(写真右/白山神社能舞台)。
他芸能の『船弁慶』と比較して、義経の捉え方が異なるなど、芸能クロストークが展開されました。
佐々木多門さんによる、平泉を舞台にした新作能『秀衡』の仕舞実演は、秀衡と義経の強い絆を表したような曲。
牧澤神楽による義経・秀衡の対面の場『東下り』とあわせてご覧ください。
それぞれ長い年月を経て伝えられてきた芸能が、源義経をして平泉に集い、交差していく。 ここからまた、新たな源義経像が発信されていくことを、NOBODY KNOWSは期待します。
岩手県一関市真柴地区に伝わる。南部神楽特有の演目を複数継承し、地域の行事や祭礼で上演している。
1963年から真滝中学校に、その後、牧澤(まぎさわ)地区子供会に「鶏舞(とりまい)」を指導。2002年から滝沢小学校にも指導。
2008年に真滝中学校が一関東中学校に統合されてからも指導を続け、定期的な稽古で後継者育成に力を注いでいる。
海外公演(ブータン)やダンサーとの交流公演などを積極的に行なっている。
※南部神楽
岩手県南部、宮城県北部一帯にかけて広く行われている神楽。
東北地方では山伏や法印と呼ばれた修験者や社家が神楽を伝えていため、山伏神楽や法印神楽が多数を占めているが、
明治維新の神仏分離で農民はじめ一般人が神楽に携われるようになった。
その一つが南部神楽であり、山伏神楽の伝統を残す式舞のほか、奥浄瑠璃という東北独特の語り芸や地域の伝説・民話などを自由に脚色した娯楽性あふれる演目も多い。
舞手自身が面をつけたまま節をつけて歌うように台詞を語り、胴取り(太鼓打ち)の歌う神楽歌と急調な手平鉦のリズムにあわせて舞う。
中尊寺御神事能のシテ方を勤める円乗院桜本坊を出身とする父の代から喜多流職分の能楽師となる。 東京の喜多能楽堂での活動とともに、中尊寺薪能・仙台青葉能・白石市碧水園能等、東北の能楽振興に重きを置きながら、 国内外の公演に参加。学童への啓蒙授業、普及のための講座も各地で実施。 ゆかりの中尊寺白山神社能舞台にて「猩々乱」「道成寺」「翁」等の大曲を披演。
奈良県出身。華やかで力強い芸風が持ち味で、古典の舞踊を基盤に数々の公演で活躍。 文部科学大臣奨励賞、舞踊批評家協会新人賞等受賞。振付助手として比叡山薪歌舞伎、蜷川幸雄演出作品、宝塚公演等にも参加。 「NOBODY KNOWS」では日本遺産ストーリーを活かした舞台の構成・演出を行う。
1990年宮城県出身、慶應義塾大学卒業。14歳で津軽三味線全国大会で最年少優勝、その後3連覇(殿堂入り)。
巧みな技術と持ち前の愛嬌で、三味線音楽の魅力を伝える。
近年は、日本各地の民謡を現代の感覚で作編曲する「MIKAGE PROJECT」や複数の邦楽演奏家からなる「ART歌舞伎楽団」に参加し、
新たな音楽シーンを切り拓いている。
http://sho-asano.com/
NOBODY KNOWS[令和3年度 日本博主催・共催型プロジェクト]
主催:文化庁、独立行政法人日本芸術文化振興会、公益社団法人日本芸能実演家団体協議会[芸団協]
協力:公益社団法人日本舞踊協会、公益社団法人能楽協会
企画協力:世界遺産平泉・一関DMO、合同会社ひらいずむ、縦糸横糸合同会社、WORLD TAIKO CONFERENCE実行委員会
広報協力:三声舎 コミュニケーションデザイン:株式会社Que
デザイン:株式会社garden Web制作:株式会社テオ
後援:環境省、日本遺産「みちのくGOLD浪漫」推進協議会、平泉町、平泉観光協会、一関市